第6章 活躍され亡くなられた方々への哀悼を捧げます

目次

6.1. 2000 年 7 月: Joel Klecker さん逝去
6.2. 2001 年 3 月: Christopher Rutter さん逝去
6.3. 2001 年 3 月: Fabrizio Polacco さん逝去
6.4. 2002 年 7 月: Martin Butterweck さん逝去
6.5. 2004 年 5 月: Manuel Estrada Sainz さん、Andrés García Solier さん逝去
6.6. 2005 年 7 月: Jens Schmalzing さん逝去
6.7. 2008 年 12 月: Thiemo Seufer さん逝去
6.8. 2009 年 7 月: Steve Greenland さん逝去
6.9. 2010 年 8 月: Frans Pop さん逝去
6.10. 2011 年 4 月: Adrian von Bidder さん逝去
6.11. 2013 年 5 月: Ray Dassen さん逝去
6.12. 2013年 6月 Paul Cupis さんが亡くなりました。
6.13. 2014 年 7 月: Peter Miller さん逝去
6.14. 2015 年 2 月: Clytie Siddall さん逝去
6.15. 2015 年 12 月: Ian Murdock さん逝去
6.16. 2016 年 9 月: Kristoffer H. Rose さん逝去
6.17. 2018 年 9 月: Innocent de Marchgi さん逝去
6.18. 2019 年 3 月: Lucy Wayland さん逝去
6.19. 2020 年 6 月: Robert Lemmen さん逝去
6.20. 2020 年 6 月: Karl Ramm さん逝去
6.21. 2021 年 1 月: Adam Conrad さん逝去
6.22. 2021 年 4 月: Rogério Theodoro de Brito さん逝去
6.23. 2023 年 9 月: Amraham Raji さん逝去
6.24. 2023 年 12 月: Gunnar Hjalmarsson さん逝去
6.25. 2024 年 7 月: Peter De Scrijver さん逝去
6.26. November 2024: Jérémy Bobbio died
6.27. 2025 年 1 月: Steve Langasek さん逝去

2000 年 7 月 11 日、Espy のニックネームで知られていた Joel Klecker さんが 21 歳でこの世を去りました。#mklinux、Debian のメーリングリストや IRC チャンネルで 'Espy' と交流のあった人々で、このニックネームの影には デュシェンヌ型筋ジストロフィーという病に苦しむ若者がいるのを知っていた者はいませんでした。ほとんどの人々は Joel さんのことを「Debian の glibc と powerpc 野郎」としてのみ知っており、Joel さんが闘っていた困難に想いがおよぶ者はいませんでした。肉体的には病んでいましたが、Joel さんはその偉大なる精神を他の人と共有していました。

Joel Klecker (別名 Espy) さんに心より哀悼の意を表します。

2001 年 3 月 1 日、Christopher Matthew Rutter (別名 cmr) さんが、交通事故により 19 歳で命を落としました。Christopher さんは Debian プロジェクトの若く有名なメンバーで、ARM 移植版を手伝っていました。buildd.debian.org のサイトをもって追悼を捧げます。

Chris Rutter さんに心より哀悼の意を表します。

2001 年 3 月 28 日、Fabrizio Polacco さんが長い闘病生活の末、この世を去りました。Debian プロジェクトは、Fabrizio さんによる Debian とフリーソフトウェアでの優れた作業と多大な献身に敬意を表します。Fabrizio さんの貢献は忘れられることなく、他の開発者が Fabrizio さんの業績を引き継ぐべく前進するでしょう。

Fabrizio Polacco さんに心より哀悼の意を表します。

2002 年 7 月 21 日、Martin Butterweck (別名 blendi) さんが、白血病と闘った末、亡くなりました。Martin さんは Debian プロジェクトの若いメンバーで、プロジェクトに加わったばかりでした。

Martin Butterweck さんに心より哀悼の意を表します。

5 月 9 日、Manuel Estrada Sainz (ranty) さんと Andrés García Solier (ErConde) さんが、スペインのバレンシアで開催されたフリーソフトウェアカンファレンスからの帰途、痛ましい交通事故で命を落としました。

Manuel Estrada Sainz さんと Andrés García Solier さんに心より哀悼の意を表します。

7 月 30 日、Jens Schmalzing (jensen) さんがドイツのミュンヘンにある職場で発生した痛ましい事故により亡くなりました。Jens さんは Debian に参加して各種パッケージのメンテナ、PowerPC 移植版のサポーター、カーネルチームのメンバーとして活躍し、PowerPC カーネルパッケージをバージョン 2.6 に上げる手助けをしました。また、Mac-on-Linux やそのカーネルモジュールのメンテナでもあり、インストーラや地元のミュンヘンでの活動を援助したりもしました。

Jens Schmalzing さんに心より哀悼の意を表します。

12 月 26 日、Thiemo Seufer (ths) さんが交通事故で亡くなりました。Thiemo さんは MIPS と MIPSEL 移植版の代表メンテナで、Debian 開発者になる 2004 年よりもかなり昔から長い間 debian-installer にも貢献しました。QEMU チームのメンバーとして Thiemo さんは MIPS エミュレーションレイヤーのほとんどを書きました。

Thiemo Seufer さんに心より哀悼の意を表します。

7月18日、Steve Greenland (stevegr) さんは癌のため亡くなりました。 彼は多くのコアパッケージ (cron 等)のメンテナであり、1999年から Debian に参加していました。

Steve Greenland さんに心から哀悼の意をを捧げます。

Frans Pop (fjp) さんが 8 月 20 日に亡くなりました。Frans さんは Debian に参加し、いくつかのパッケージのメンテナや S/390 移植版の支援を行い、そして Debian Installer チームに最も関わったメンバーの 1 人でした。Debian メーリングリストの管理者で、インストールガイドとリリースノートの編集者兼リリースマネージャであり、オランダ語の翻訳者でもありました。

Frans Pop さんに心より哀悼の意を表します。

Adrian von Bidder (cmot) さんが 4 月 17 日に亡くなりました。Adrian さんは debian.ch の創設メンバーの1人であり書記でした。彼による提案の多くは今の Debian Switzerland の原型となりました。また、Adrian さんは Debian パッケージアーカイブにあるソフトウェアを積極的に保守し、プロジェクトを代表して多数のイベントに出席していました。

Adrian von Bidder さんに心より哀悼の意を表します。

Ray Dassen (jdassen) さんが 5 月 18 日に亡くなりました。Ray さんは19年間、桁外れの Debian 開発者でした。プロジェクトには1994年に参加し、亡くなるまで積極的な貢献者であり続けました。Ray さんは Debian GNOME チームの創設メンバーの1人で、親切に快く支援する行動は GNOME チーム内の協力する精神を育てました。Debian では、複数のパッケージ、特に目立つものとしては Gnumeric スプレッドシートのメンテナとして関わり続けました。

Ray Dassen さんに心より哀悼の意を表します。

Paul Cupis さんは 2013年6月17日に 32歳でこの世を去りました。 彼は 2003年から Debian に参加し、 doctorj (Javadoc のコメント) やその他のパッケージで メンテナPaul (cupis@debian.org)として活躍されていました。

Paul Cupis さんに心より哀悼の意を表します。

Peter Miller さんが 7 月 27 日に亡くなりました。Peter さんは Debian プロジェクトでは比較的新人でしたが、彼のフリー及びオープンソースソフトウェアへの貢献は 1980 年代後半に遡ります。Peter さんは GNU gettext への多大な貢献者であると同時に、他の上流のプロジェクトでは例えば srecord や aegis、cook 等、Debian に収録されているソフトウェアの中心的な作者及びメンテナでもありました。また、Peter さんは Recursive Make Considered Harmful 紙の著者でもありました。

Peter Miller さんに心より哀悼の意を表します。

Clytie Siddall さんが 2015 年 2 月に亡くなりました。Clytie さんは Debian その他のプロジェクトで長年ベトナム語翻訳に貢献しました。Debian 内ではインストーラや dpkg、apt その他様々な文書を翻訳しました。 GNOME コミュニティやその他多数のプロジェクトでも翻訳で貢献しました。Clytie さんは 2005 年から 2007 年まで GNOME Foundation のメンバーでもありました。

Clytie Siddall さんに心より哀悼の意を表します。

Debian プロジェクト及びそのコミュニティの創設者である Ian Murdock さんが 2015 年 12 月に亡くなりました。Ian さんは幼少の頃からコンピュータに触れ、9歳の時から積極的にプログラミングを始めました。何かをより良くしようという考えと機会を得て、1993 年 8 月、Debian プロジェクトを立ち上げました。当時は、Linux の「ディストリビューション」という概念自体が新しいものでした。Linus Torvalds 自身が Linux をシェアしたことに鼓舞された、と彼が言うように、このディストリビューションは開かれた、Linux と GNU の精神に則ったものにすべきだという意志を持って Debian を発表しました。Ian さんの夢は Debian が開発を促進し、発展する不思議で強力なコミュニティで構成されるものになることでした。極めて積極的な数千の開発者が膨大な時間をかけて作業し、信頼性が高く安全なオペレーティングシステムを世界に届け続けています。Debian は何かをより良くしたいと考える人たちの利害や好奇心、情熱を刺激してきました。それから、今も、そして未来も続きます。

Debian 9 Stretch は彼に捧げられました。

Ian Murdock さんに心より哀悼の意を表します。

Kristoffer H. Rose さんが骨髄線維症との長い闘病の末 2016 年 9 月 17 日に亡くなりました。Kristoffer さんはプロジェクトのかなり早い段階から Debian 貢献者で、LaTeX パッケージの Xy-pic や FlexML 等、複数のパッケージの上流の作者でもありました。彼が何年かプロジェクトを離れた後に戻ってきたとき、ハイデルベルクで開催された DebConf15 での再会を多くのメンバーが喜びました。

Kristoffer H. Rose さんに心より哀悼の意を表します。

Innocent さんは数学教師でありフリーソフトの開発者でした。 彼はタングラムパズルに熱意を注いでおられ、その結果、タングラムを用いたゲームを考案しました。そして、後に Debian でそのパッケージのメンテナとして貢献したにとどまらず、様々な場面で活躍されました。 そのひとつが疲れを知らないカタラン語の翻訳です。Innocent de Marchi さんに心から追悼の意を捧げます。

Lucy さんは英国ケンブリッジ Debian コミュニティの貢献者で、ケンブリッジ Mini-DebConf の設立に従事しました。 彼女は多様性と包括性の強力な戦士で Debian 多様性チームの創設に参加し、あまり日の目を見ないグループにスポットライトを当て、コミュニティ内の多様性に関わる問題を敬意持って援助しました。Lucy さんに心から追悼の意を捧げます。

Robert Lemmen さんは 2020年6月に深刻な病気のため他界しました。 Robert さんはミュンヘンの Debian 交流会に2000年代の初期から参加され地元のブースに貢献しました。 彼は、2007年から Debian 開発者となり、 Raku (当時の名称は Perl6) のモジュール編成に力を注ぎました。 また Debian の相互循環依存を探索することに奮闘しました。 Robert さんに心から追悼の意を捧げます。

Karl Ramm さんは、転移性の大腸がんのため 2020年 6月に亡くなりました。 彼は、2001年から Debian 開発者であり MIT プロジェクトの Athena から多数のコンポーネントを編纂しました。 彼は技術と Debian に熱意を注ぎ、他者の情熱を発見し活躍させる場を与える人でした。 Robert さんに心から追悼の意を捧げます。

Adam "infinity" Conrad (以前は adconrad@d.o) さんは 2021年1月26日に 43歳でこの世を去りました。 Adam Conrad さんに心から追悼の意を捧げます。

2021年4月、Rogério Theodoro de Brito さんは COVID-19 パンデミックのため亡くなりました。 Rogério さんは15年以上も Debian 貢献者であり、小さなツールをプログラムするのが趣味でした。 彼は他のプロジェクトでは Kurobox/Linkstationを Debian で使うための方策や youtube-dl ツールなどに貢献しました。 彼はまた上流プロジェクトの「Debian contact」に参加しました。 Rogério Theodoro de Brito さんに心から追悼の意を捧げます。

Abraham Raji さんは 2023年9月13日にカヤックの旅中に致命的な事故に遭いました。

Abraham さんは有名で尊敬される Debian 開発者で、彼の故郷インドのケララ州ではフリーソフトのチャンピオンとして知られていました。 彼は才能のあるグラフィックデザイナーで DebConf23 や地方の催し物で近年デザインを指導したりブランド化を推進したりしました。 彼は Debian プロジェクトでは新規貢献者に自分の時間を顧みず熱心に教え、インド版の Debian Web の創設に携わりました。

Debian プロジェクトは、Abraham さんによる Debian とフリーソフトウェアでの優れた作業と多大な献身に敬意を表します。Abraham さんの貢献は忘れられることなく、他の開発者が彼の業績を引き継ぐべく前進するでしょう。

Debian 開発者のGunnar Hjalmarsson さんは2023年に他界しました。 Gunnar さんは言行の一致した非常に貴重な人で 2010年から Ubuntu の国際化に務め、同時に Debian にも参加していました。 彼は、Debian GNOME や 文字入力(IME) チームのメンテナでした。

Gunnar Hjalmarsson さん (1958年10月6日生まれ、2023年12月20日没、スウェーデン)に心から追悼の意を捧げます。

2004年より Debian 開発者であり Linux カーネルのハッカーであった Peter 「p2」De Schrijver さんは 2024年7月に他界しました。 私達の多くが Peter さんは献身的で私達のプロジェクトやコミュニティにとってとても有益な人だったと評価しています。Peter さんは世界中のミーティングに参加し、顔なじみでした。 彼の問題に対する専門知識やそれを共有しようとする姿勢は高く評価されていました。 彼に「何が起こっているのか」と尋ねるとき、彼はしばしば時間を取り難解な技術的問題を熟練したC言語訳者の視点から答えてくれました。

Peter の仕事ぶり、理想、驚くべき遺産の記憶は多くのコミュニティのみならず、世界中の彼を知るものにとって彼を失ったことは大きな喪失でした。

Peter De Schrijver さん (1970年9月17日アントワープ生まれ、2024年7月12日フィンランド没) に心から追悼の意を捧げます。

Jérémy "lunar" Bobbio, 41 years old, died on November 8, 2024. Lunar was very active as a Debian Developer, worked on the Tor project, and was one of the founders of the Reproducible Builds movement. They are remembered as a creative, thoughtful, smart activist; who made a huge impact on very thriving Free Software projects. Jérémy Bobbio will be missed.

Steve Langasek さん、享年45歳 アメリカ、ポートランド州在住は2025年1月1日に、オレゴン健康科学大学病院にてこの世を去りました。 彼は 2005年のDebian 3.1 sarge から、2007年の Debian 4.0 etch において、リリース管理者のひとりとして活躍しました。Steve Langasek さん (1979年4月27日生まれ、2025年1月1日ポートランド没)に心から追悼の意を捧げます。